自殺してその生命保険で借金を返すと銀行を説得させ
大阪に徳田病院を作ったのが1973年。
大阪大学医学部卒業後、異例な方法で各地に医療機関を作り続けた。
救急患者は24時間受け入れ患者からのお礼は受け取らない。
差額ベッド廃止など今までの医療社会にない方針を打ち出し
中でも命だけは平等とのキャッチフレーズで医療社会に大きな影響を与え
各地に医療機関の設立を計った。
しかし2012年衆議院選挙の折
公職選挙法違反の疑惑が持たれ社会的地位も下落の一途。
その間自らの健康状態も芳しくなく
とうとう今度は税務関係にまで疑惑が広がった。
もうこうなると初心の志はどこへ霧散してしまったのかと思う程の凋落振りで
すでに今では人生有終の美を飾るどころではない状態ではなかろうか。
人間財を成しその生活に溺れてしまうと当初の志なんて消え失せるのだろうか。

徳洲会の凋落振りを報じる新聞



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