2011年10月18日

核かく然じか

私達の祖父母の頃、核はその存在すら知られてなかった。
人間が核の入ってるパンドラの箱を開けてしまってから
100年も経ってない訳です。

ところが軍事とか平和利用とかで僅かな間で利用方法を高度に進化させ
核兵器や原発を大量に作りだし現在に至っている。
兵器や平和利用に関わらず本来人間が手にしてはいけなかったのではないのか。

事が起きた時、人間の手で制御不可能なものほど物騒なものはない。
何より今回の事故で膨大な数の人々を不安のどん底に落とし入れ
尚かつこれからの世代を背負っていかなければならない大勢の子供達の健康を
10年単位で懸念せねばならず反面その責任の所在を明らかにしない。

つまり原発推進は国策だったのだから当時の政策決定に関わった人達と
関連した人達に当然責任を負う義務があるのではないか。
何事にも結果があることは原因がある。
原因を作った責任。

美味しいものを食べてしまうとその味が忘れられなくなるのと同様
核のおいしさを知ってしまった今、
人間はそう簡単に核を手放すことはしない。
核利用反対の声が各国から上がってはいるが。

ここで絵に描いた餅のようなことを書きます。

国際社会の間で軍事、平和利用に関わらず核を手にした国家の指導者は
糾弾されその国が大いなる恥さらしになるような
環境作りが進められたら素晴らしいことだなと。
先に書いた通り現実からかけ離れてはいるけど。

震災から半年以上過ぎた今、
地震と津波の被害は人の英知と努力で時間と共に確実に復興していくが
放射能の恐怖はまだまだこれから長い間影響を及ぼし続ける。

この前ニュース画面のインタビューで福島の農家の老人が
原発さえなかったら我々の力で何とかなるんだが、
福島は原発を受け入れてしまったんだからなぁ、と
言って遠くの山を見つめていたのが印象的だった。


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posted by ダボさん at 09:16 | 神奈川 ☁ | 【燃】−原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする